ゆみぴーの
~ひとりごと~
20年以上の指導と演奏活動の間に気づいたことや、いま思っていることを少しずっお話ししましょう。
バイエルやソナチネや、むずかしいとされる曲を弾く時も鑑賞する時も、一人一人にあったアプローチがあります。
私が習っていた頃から現在に至るまで、この国で一番大切にされるべきと痛感することがあります。
それはまず第一に、教師と生徒がお互いを認め合う関係でしょう。
この曲は「こう弾くもの」と先生が生徒に伝えて、あてはめることだけがマルになるとすれば、今の私がこどもや大人なら見習わないし、弾かない。
それなら、デジタルピアノでソフトに入っている曲を鳴らしたり、CDを聴くだけで充分だと思います。
へたでも味のある音楽があるのです。
人に評価されることだけが喜びにつながるのは、全くナンセンスで、前述の喜びだけではない音楽をする楽しみに気がついたときから自己表現の楽しみが始まります。
想像することから創途することへ、実際の音を出していく中で、体の中のリズムを感じ、表現し連択できるカラーやイメージを実現出来るテクニックを教師は伝えます。
幼い頃は読譜にも力が入りますが、それと同時に色彩や音色·リズムに興味のもてる教育がん具(写真参照)を使用し、 タッチ練習もあらゆるもの(クッションや木の箱、etc.)を使います。
ピアノを、ピアノだけで教えることだけがレッスンではありません。
まして演奏は、ピアノを使っただけの創造物ではなく、その人の人間性そのものになっていくでしょう。
音楽の持つリズム感や拍子感、音色や構成のおもしろさなど音楽が対比や会話から成り立っていることを、打楽器やダンスなど楽しみながら少しずつレッスンで具体的に見えるように、わかるように感じるようにしていきます。
またレスナーレクチャーも現在、構想を練っているところです。
実際に教えることを習う時間は、大学には少ないと思います。
弾けることと教えることは、別に考えてください。
自分で考え、いろいろな選択肢をもつことと選ぶ自由、そして確かな実行をめざす人間形成はより豊かな人生の扉を開けることとなり、又、社会に対しても様々な分野で役に立つ人材に育ってくれる事でしょう。
音楽教育家 萩原由美
お花の手ぶくろ
左右の手や指の体操や緑の草を使って咲いたりしぼむ花のイメージが生まれ、遊びながら、お花の話もできそうですね。
子供たちとの生のセッションの中から 即興的な遊びが生まれることを期待しています。